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東京高等裁判所 昭和29年(う)2039号 判決

控訴人 被告人 斎藤要

弁護人 高橋敏 外一名

検察官 金子満造

主文

原判決中被告人斎藤要に関する部分を破棄する。

被告人斎藤要を懲役弐年に処する。

原審及び当審に於ける訴訟費用中原審相被告人杉本甚三のための国選弁護人に支給した分を除きその余は被告人斎藤の負担とする。

理由

高橋弁護人の論旨第一、二、三点及び岡崎弁護人の論旨一について。

よつて按ずるに、本件公訴事実は、主たる訴因(本来的訴因)として、被告人斎藤要は原審相被告人杉本甚三と共謀の上、昭和二十六年十月二十日頃千葉市通町六十四番地株式会社千葉銀行本店に於て、大野美雄に対して真実預金払戻を受くる資格も権限もないのに拘らず、あるように装い、「至急油脂公団に支払をせねばならないので間に合うように支払つて貰いたい」と申し向け、同人をしてその旨誤信させ、即時同所に於て室谷周一の受け取るべき現金五十万円及び金二百万円の同行振出自己宛小切手一枚を交付させて之を騙取したものである、と云い、罰条として刑法第二百四十六条を掲げていたところ、原審は、原判決挙示の証拠に基いて、被告人斎藤要は室谷周一から約束手形の割引を依頼されてこれを割引現金化した内金三百万円を株式会社千葉銀行本店に斎藤要名義で当座預金にしたところ、室谷からこれが引渡を要求されたので、昭和二十六年十月十九日(正確には翌二十日深夜)頃右預金の当座勘定入金帳当座小切手帳を同人に引渡し、且つその小切手用紙二枚に振出人斎藤要名義の記名捺印をなして払戻準備を完了したものであるが、室谷が右銀行から預金を払戻すのに先廻りしてこれを騙取しようと企て、昭和二十六年十月二十日午前十一時過頃千葉市通町六十四番地株式会社千葉銀行本店に於て、同行員大野美雄に対し真実払戻を受ける正当権限がないのに拘らずこれあるように装い、「至急油脂公団に支払をせねばならないので間に合うように払つて貰いたい」旨の虚構の事実を申向け、同人をしてその旨誤信させ、即時同所に於て預金払戻の権限を有する室谷周一の受け取るべき現金五十万円及び金二百万円の同行振出自己宛小切手一枚を交付せしめてこれを騙取したものである、と認定し、詐欺罪の成立を認めた。而して検察官は当審に於て更に予備的訴因として、先ず(一)被告人斎藤要は昭和二十六年十月十七日頃千葉市通町六十四番地株式会社千葉銀行本店に於て、曩に室谷周一より日本鋼管株式会社振出高橋商店宛の約束手形合計十通(額面合計千十万円)の割引斡旋を依頼せられ、その中一部を割引して得た金員中三百万円を擅に自己名義にて同銀行に当座預金し、以てこれを着服横領したものである、と主張し、(二)仮に然らずとするも、被告人斎藤要は昭和二十六年十月二十日頃千葉市通町六十四番地株式会社千葉銀行本店に於て、同行員大野美雄より室谷周一に交付すべき現金五十万円及び金二百万円の同行振出自己宛小切手一通を受領し、同人のために保管中擅にこれを自己に着服横領したものである、と主張し、いずれも罰条として刑法第二百五十二条を追加するに至つた。そこで当審の事実取調の結果をも参酌して記録を精査するに、被告人斎藤は原判示の如く室谷周一より日本鋼管株式会社振出株式会社高橋房吉商店宛の約束手形合計十通(額面合計千十万円)の割引斡旋を依頼せられてこれを現金化した内金三百万円を自己が代表する日東物産株式会社名義を以て株式会社千葉銀行本店に当座預金したことが認められる。ところで、凡そ他人より手形割引の依頼を受けたる者が委任の趣旨に従いこれが割引を受けて金員を受領したるときは、其の金員は委任者の所有に帰するを以て遅滞なくこれを委任者に引渡すことを要するは当然のことであるから、受任者が他より受領した金員を自己名義を以て預金するが如きは、特段の事情のない限り、自己の占有中のものを不法に領得するものと認め得べきところ、本件記録を調査し当審の事実取調の結果に徴するも、被告人斎藤が右三百万円を同人の代表する前掲日東物産株式会社名義を以て株式会社千葉銀行に預金し置くにつき首肯し得べき特段の事情を発見することができないから、被告人斎藤は室谷のため自己が保管中の右三百万円を自己に不正に領得する意思を以て、擅に同会社名義にて株式会社千葉銀行本店に預金し、これを自己に着服横領したものであると云うべく、従つて同被告人が後日この預金を自己のため払戻すことは当初より当然予想せられていたところであつて、原判示の如く同銀行員大野美雄が該預金を同被告人に対し払戻すに至つたのも、右大野が原判示の如く同被告人の欺罔的言辞を誤信したためと云わんよりは、寧ろ該預金が同被告人を代表者とする前記会社名義を以て為され且つその後に於ても何等名義変更等の手続が為されていなかつたためであると云わなければならない。果して然らば、被告人斎藤の本件所為は横領罪を以て問擬するを相当とし、本件公訴事実中主たる訴因として詐欺罪の成立を主張する同被告人の欺罔的所為は、前掲横領罪のいわゆる事後処分であつて、別罪を構成しないものと云わなければならない。従つて原審は宜しく訴因及び罰条の変更を命じ、横領罪を以て同被告人を処断すべきところ、その措置に出てなかつたことは所論の如く事実を誤認し、延いて法令の適用を誤つたものであつて、右事実の誤認は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、原判決は到底破棄を免れない、論旨は結局いずれも理由がある。

(罪となるべき事実)

被告人斎藤要は曩に室谷周一より日本鋼管株式会社振出株式会社高橋房吉商店宛の約束手形十通(額面合計千十万円)の割引斡旋方依頼を受け、その中一部を割引現金化し、自己が右室谷のために保管中、これを自己に不正に領得しようと企て、昭和二十六年十月十七日頃千葉市通町六十四番地株式会社千葉銀行本店に於て擅にその中三百万円を自己が代表する日東物産株式会社名義にて当座預金し、以てこれを自己に着服横領したものである。

(証拠説明省略)

(法律の適用)

法律に照らすと、被告人斎藤要の判示所為は刑法第二百五十二条第一項に該当するので、所定刑期範囲内で同被告人を懲役二年に処し、原審及び当審に於ける訴訟費用中原審相被告人杉本甚三のための国選弁護人に支給した分を除きその余は、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文に則り全部被告人斎藤に負担させることとし、主文の通り判決する。

(裁判長判事 中西要一 判事 山田要治 判事 石井謹吾)

弁護人高橋敏の控訴趣意

第一点原判決には法令の適用に誤がある。

原判決は被告人斎藤要が室谷周一より約束手形の割引を依頼せられて現金化した金三百万円を株式会社千葉銀行に自己名義にて当座預金にしたところ室谷から之が引渡を請求せられて当座勘定入金帳、当座小切手帳を同人に引渡し且つ其の小切手用紙に振出人斎藤要名義の記名捺印をなして室谷に交付しながら千葉銀行行員大野美雄に対し虚構の事実を申向けて自己が払戻の権限がない右当座預金より現金五十万円及び金二百万円の同行振出自己宛小切手一枚の交付を受けたものであると判示して刑法第二百四十六条第一項を適用して懲役二年の刑を科している、併しながら記録に依れば被告人斎藤は昭和二十六年十月十一日室谷周一より額面計一千十万円の約束手形の割引を依頼せられ、同年十月十五日右の内額面金五百十万円の手形を金四百四十九万余円で泰生社にて割引現金化したが、右金員を室谷に引渡すことなく右金員のうち金三百万円を自己名義にて千葉銀行に当座預金となし、金百十万円は自己管理下に杉本甚三に保管せしめて居り、残額三十九万余円は擅に費消したのみならず、現金化後数日を経たる十月十九日深更室谷の強硬なる要求に依りはじめて現金百十万円及前記当座預金の当座勘定入金帳、小切手帳等を室谷に引渡し小切手用紙に自己振出名義の記名捺印をなしたものであつて、其の間数日自己に於て保管し又は自己名義の預金を為し置くべき何等の理由もなく、又其の間室谷に対し何等の連絡も為さなかつたこと及び現金の一部を擅に自己に於て費消したこと等が明かであつて、被告人の右行為は室谷に引渡すべき金四百四十九万余円が自己の占有下にあるを奇貨とし之を横領せんとしたものと断定すべく、大野美雄に対し虚構の事実を告げて計金二百五十万円の現金並に小切手の交付を受けたことは右横領行為を完成せんとしたに止り同人を欺罔して金二百五十万円を騙取したものと為すべきではない。然らば即ち被告人の行為は刑法第二百五十二条第一項に該当するものである。検察官は之を刑法第二百四十六条第一項に該当するものとして起訴し原審に於ても訴因罰条の変更を命ずることを為さず、漫然詐欺罪を以つて処断したことは法令の適用を誤つたものと謂はねばならぬ。

第二点原判決には事実の誤認がある。

原判決は被告人が自己名義の千葉銀行当座預金の預金入金帳小切手帳等を室谷周一に引渡し、その小切手用紙に自己振出名義の記名捺印をなし室谷が千葉銀行より預金払戻の準備を完了した後同銀行員大野美雄に虚構の事実を告げて同行より預金払戻を受けた事実のみを取上げて詐欺罪を以つて論じているが、前記の如く被告人の右行為は横領行為を完成せんとする一連の行為の一部である。仮に又原判決の如く右の行為のみを取上げたとしても、之を以て刑法第二百四十六条第一項に該当するとなすことは不当である当座預金は従令当座預金入金帳、小切手帳等を室谷に引渡したとはいえ未だ被告人名義であり、被告人に於て自由に仏戻を受け得る状態に在るのであるから、被告人が室谷の小切手呈示に先立ち右当座預金から仏戻を受けたとて、他人より財物の交付を受けたとは謂い得ない。自己の間接占有物を直接占有に移したに過ぎないのである。即ち欺罔に依り財物を騙取したとする原判決は此の事実の判断を誤つたものと云うべきである。

第三点原判決は手続上法令の違反がある。

刑事訴訟手続は刑事事件につき公共の福祉と個人の基本的人権の保証を全うしつつ事案の真相を明らかにし刑罰法令を適正に適用するにあることは刑事訴訟法第一条に明かにするところである。被告人の本件犯罪に関し検察官は刑法第二百四十六条第一項に該るものとして起訴しているが、第一項記載の如く刑法第二百五十二条第一項に依り科刑すべきものである。故に原審裁判所は審理の経過中に於て訴因罰条の変更を命じてこの誤を是正すべかりしものであつたが、原審に於ては之を為さず、漫然詐欺罪を以て論じたのである。勿論刑事訴訟法第三百十二条第二項に依れば、裁判所は訴因、罰条の変更を命ずることが出来る旨を規定しているに過ぎないのであるが、凡て権能のあるところ義務を伴うのを普通とする。況んや刑事訴訟法第一条の趣旨に鑑み、苟も刑の軽重に関係ある場合等は裁判所は訴因罰条の変更を命じ適正なる法の適用を為すべき権能と義務あるものとすることが宴に至当のことであり、之に違反したる場合は即ち手続上法令に違反したものと謂うべきである。本件の場合に於て刑法第二百四十六条第一項は懲役長期十年であり同第二百五十二条第一項の場合は懲役長期五年であるから、其の孰れの適用を受けるかは刑の軽重に重大なる関係を有し、被告人に多大の影響を及ぼすこと明瞭である。されば原審に於ては訴因、罰条の変更を命じ最も適正なる科刑をなすべきであつたが、其の茲に至らなかつたことは、即ち訴訟の手続に於て法令に違反したものと謂はなければならない。

右何れの点から観ても原判決は破棄せらるべきものと信ずる。

弁護人岡崎源一の控訴趣意

第一点原判決は「昭和二十六年十月二十日午前十一時過ぎ頃千棄市通町六十四番地株式会社千葉銀行本店に於て同行員大野美雄に対して、真実払戻を受ける正当権限がないのに拘らず之ある様に装い、至急油脂公団に支払をせねばならないので間に合う様に支払つてもらいたい趣旨の虚構の事実を被告人が申向け、同行員をして其旨誤信させ、即時同所に於て預金払戻しの権限を有する室谷周一の受け取るべき現金五十万円也及び金二百万円の同行振出自己宛小切手一枚を交付せしめて之を騙取したるものなり。」と判示し、刑法第二百四十六条第一項の適用を為したるも、原判決の判示前段に於て明らかに、被告人は其手中にせる金三百万円也を被告人自身の斎藤要名義にて株式会社千葉銀行本店に預金したることを認めついで昭和二十六年十月十九日(正確には翌二十日深夜)室谷周一に右預金の当座勘定入金帳当座小切手帳を引渡し、且つその小切手用紙二枚に振出人斎藤要名義の記名捺印を為し払戻準備を完了したりと認定せるも、其行為たるや金銭の授受を現実に移せるもの即ち金の占有を移せるものにあらず、更に其完了行為たるや東京都内港区西久保巴町四五、斎藤方(記録一一五丁-一一六丁証人室谷第一公判廷証言及び室谷の告訴状)に於て被告人及其妻と室谷周一間に行はれたるものに過ぎず、常識上より見れば同二十日午前十一時頃までに千葉市内に在る千葉銀行に対し、室谷周一より斎藤要の預金払下に付き詳細なる理由具陳と共に其払下げ中止の申出銀行にあらば格別無之くば(証人大野美雄の原審に於ける供述中にもそれなし、記録一二二丁)千葉銀行としては斎藤要が預金者なる故に其預金者より預金引出の申出ある以上之に応ずるは理の当然にして、何等手続上にも違背なく又被告人斎藤に預金払戻の正当権限あるものなり。然るに原判決は「被告人には真実千葉銀行より払戻を受くる正当権限なし」と認定し引いて之に基き其預金引出しは詐欺行為なりと認定せり。而して本件詐欺の欺罔行為により錯誤に陥りたるものは預金取扱銀行の千葉銀行の行員大野美雄にして室谷周一にあらず、詐欺による被害者は千葉銀行にあらずして室谷周一なりと断定せり。抑も本件の約束手形は室谷周一より任意に斎藤要に割引を依頼したるものにして、其依頼自体に詐欺行為あり、該手形を室谷より騙取したるものならば詐欺罪の成立も考へられ、被害者室谷もありうるも被告人斎藤が約束手形割引により入手せる三百万円には何等不正行為なく、又刑事上の責任の問はる筋もなし、然らば三百万円は所詮は室谷に返済すべきものにもせよ正当に斎藤の占有せる金子なり。故に之を正当に銀行に預け其銀行より払戻したりとて詐欺罪の起る理なし。若し夫れ室谷に返へすべき金銭を恰もかへす如くに室谷を欺きかへさざるも、詐欺罪の成立なく、之を費消して初めて横領の犯罪に問擬さるることもありうるに過ぎず。故にこの点に関し原判決は詐欺罪に問うべからざるものを詐欺罪とせる法令の適用を誤るか又は詐欺と横領の事実の誤謬あり。何れも判決に重大なる影響を及ぼすこと極めて明白にして原判決は破棄さるべきものなり。大正十一年(れ)第二〇九五号大正十二年三月二日大審院第二刑事部判決、大正十二年大審院判例集刑事第二巻一六二頁、明治四十四年(れ)第四六三号、明治四十二年(れ)第二〇四九号、各大審院判例御参照。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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